
『ほ・い・く』
保育方針
核家族が多く、近くに頼れる存在がいない孤立した状況の中で働く保護者にとって、支えになる保育園を目指す。
保育目標
小規模園ならではの家庭的な雰囲気と、一人ひとりのかかわりの親密性を大切にしています。
地下鉄駅1分の利便性を生かし、より保護者の社会生活がゆとりを持って行えるように応援します。
少人数であればある程、園児と保育者、園児同士の密接なかかわりの中で、子ども達は育っていきます。
基本的信頼感(将来の人との関わりの土台となるもの)の育つ3歳までは不特定多数が関わる保育ではなく、年度ごとに育てる顔が変わることのない、安定的保育がとても大切だと考えています。
地下鉄駅1分の利便性を生かし、より保護者の社会生活がゆとりを持って行えるように応援します。
少人数であればある程、園児と保育者、園児同士の密接なかかわりの中で、子ども達は育っていきます。
基本的信頼感(将来の人との関わりの土台となるもの)の育つ3歳までは不特定多数が関わる保育ではなく、年度ごとに育てる顔が変わることのない、安定的保育がとても大切だと考えています。


こどもの心と体の健全な成長には外遊びは欠かせません。
散歩、森林公園の遊具遊び、森林公園の山歩き、野原の探索、豊かな近隣の自然環境をいかした保育の中で、こども達は季節を体いっぱいに感じながら、その内なる魂との共鳴を感じることでしょう。
散歩、森林公園の遊具遊び、森林公園の山歩き、野原の探索、豊かな近隣の自然環境をいかした保育の中で、こども達は季節を体いっぱいに感じながら、その内なる魂との共鳴を感じることでしょう。




手遊び、音楽体操、紙芝居、粘土遊び、その他保育や行事の中で、こども達の興味、楽しさ、嬉しさで輝く瞳に出会えます。私達はそんな子ども達を共に喜び、共に悩むパートナーでありたいと願っています。


温かい、心のこもった手作り給食は健康な心と体の源です。


保育園概要

月ぎめ保育、延長保育

対象年齢 生後2か月~6歳(就学前まで在籍可能)
クラス定員
※年度により定員の範囲で変動します。
※3歳クラスから保育料は無料です。(主食費・副食費等あり)
※3歳クラスから保育料は無料です。(主食費・副食費等あり)
開園日時 日曜日・祝日・年末年始(12月29日~1月3日)を除く
基本保育時間 (月~土) 7時30分~18時30分
延長保育時間 18時31分~19時30分(生後4ヵ月~)
基本保育時間 (月~土) 7時30分~18時30分
延長保育時間 18時31分~19時30分(生後4ヵ月~)

(業者に払う代行を園がいたします)
※当園では保護者の負担軽減のため、身軽に登園できるサービスを提供しています。
●布団レンタル(800円/月)/●汚物処理・使い捨ておしぼり(500円/月)
●おむつ・お尻拭き定額制(3000円~/月)/●エプロン(無料)
●布団レンタル(800円/月)/●汚物処理・使い捨ておしぼり(500円/月)
●おむつ・お尻拭き定額制(3000円~/月)/●エプロン(無料)

※尊重する(否定しない)子育てと、生きる力の土台となる沢山の楽しい思い出づくりを目指しています。
ふれあい保育園の一年(生活&行事)
園長
志村 由美(シムラ ヨシミ)
私が保育園をやることになったのは大それた理念や夢があったというわけではなく“ひょんなきっかけで”と言うのが正直な所なのです。
でも「こうなる様になっていたのかなー」とも思える出来事が、今から「ン~十年前」にありました。
東京の保育士養成校で学んでいた、夢も希望もあるうら若き時代。神奈川の某保育園でアルバイトをしましたが、その保育環境のひどさにショックを受けました。
赤ちゃんたちは動物の飼育のような扱い、いいえ、それ以下だったかもしれません。
ベットに柵を立てられたまま、一度も抱っこされることも、語りかけられることもなく、泣く気力も失い、うなり声のような声をあげていました。何十人もの子を2~3人でただ、みている、いや、見てすらいませんでした。
いくらかでも抱っこしてあげようなんて新米の私は雑事の合間をみて、両腕と、背中とひざに同時に子どもを抱えました。
スキンシップに飢えていた赤ちゃんたちはゾロゾロと私の後を追い、とても仕事にならなくなりました。
エレベーターで会う保護者に「何でこんなとこにあずけるの?」と、何度言おうと思ったことか。「私には、何もしてあげられない、何も変えてあげられない。」あまりの辛さから私はそこを2週間で逃げ出しました。
今でもあの子どもたちのどんよりした瞳が忘れられません。
「私は社長じゃないから、何もできない。変えるには社長にならないとダメなんだ」と思ったことを思い出します。
今、保育園をさせて頂いているのは、この体験と何か繋がりがあったように思えてなりません。
体と心の芯に残る、大人として、人間として、「ごめんね」とあの子どもたちに詫びたい気持ちは今もあります。
その思いを慰めてくれるのがふれあい保育園の子どもたちの天真爛漫さです。
でも「こうなる様になっていたのかなー」とも思える出来事が、今から「ン~十年前」にありました。
東京の保育士養成校で学んでいた、夢も希望もあるうら若き時代。神奈川の某保育園でアルバイトをしましたが、その保育環境のひどさにショックを受けました。
赤ちゃんたちは動物の飼育のような扱い、いいえ、それ以下だったかもしれません。
ベットに柵を立てられたまま、一度も抱っこされることも、語りかけられることもなく、泣く気力も失い、うなり声のような声をあげていました。何十人もの子を2~3人でただ、みている、いや、見てすらいませんでした。
いくらかでも抱っこしてあげようなんて新米の私は雑事の合間をみて、両腕と、背中とひざに同時に子どもを抱えました。
スキンシップに飢えていた赤ちゃんたちはゾロゾロと私の後を追い、とても仕事にならなくなりました。
エレベーターで会う保護者に「何でこんなとこにあずけるの?」と、何度言おうと思ったことか。「私には、何もしてあげられない、何も変えてあげられない。」あまりの辛さから私はそこを2週間で逃げ出しました。
今でもあの子どもたちのどんよりした瞳が忘れられません。
「私は社長じゃないから、何もできない。変えるには社長にならないとダメなんだ」と思ったことを思い出します。
今、保育園をさせて頂いているのは、この体験と何か繋がりがあったように思えてなりません。
体と心の芯に残る、大人として、人間として、「ごめんね」とあの子どもたちに詫びたい気持ちは今もあります。
その思いを慰めてくれるのがふれあい保育園の子どもたちの天真爛漫さです。
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